Yusuke's Blog

Stay hungry. Stay foolish.

インタラクション

インタラクションの捉え方

私の学びにおいてインタラクションというワードは重要なワードの1つであり,インタラクションの本質とは何かというイシューを解決する必要がある.デザインの分野においてインタラクション性はモノを生み出す際,絶対に考慮する必要があると言われる.

インタラクションをすることによって,そのモノを使うユーザーの体験,ユーザーエクスペリエンスを変えることが可能だからだ.数々のインタラクションデザイナーの生み出したモノを通して,気づいたことがある.それはインタラクションを考慮したモノを生み出そうとするデザイナーは否が応でもそのデザイナー自身の個性なるものが創造されたモノに,にじみ出るということだ.デザイナーはユーザーの問題を解決するために自分の個性,癖なるものを消そうとするが,結局デザイナーは自分自身がデザインしてきたモノを机に並べ,ざっと見てみれば似ているような点が多いことに気づくのではないだろうか.

 最初にインタラクション性をモノに持たせることによってユーザーエクスペリエンスを変えることが出来ると記した.では,ユーザーエクスペリエンスを変えるとはどういったことなのか.ユーザー体験を変えることで何が起きるのか.決まった答えのようなものは確認出来なかったが,人になんらかの感情体験を与え,その人の行動に影響を与え,行動自身がまたその人に新たな感情体験を与えるといった連鎖的なものを引き起こすようである.これは元をたどれば,ユーザーエクスペリエンスを変えることは会話でも可能であるということになる.例えば師と弟子の関係において弟子は師を敬い,師との対話によって,師の行動を真似し,自己の体験に落とし込み,師に近づこうとする.これは明らかにユーザー(弟子)の体験を師が変えている.方法は直接訴えかける会話,行動といった方法であるが,ユーザエクスペリンスを変えるということは本来人と人の間に成り立っていることが分かる.

デザイナーという枠で囲むことで見えにくくなる本質的な問題が明らかになった感じを持った.インタラクション性をモノに持たせることはモノを通じて会話をするという解釈で捉えることは間違いではないと考える.優れたデザイナーは『モノをデザインする時,デザインすることはしない』といった思考を持っている共通点がある.この思考の裏に隠されていることはそういうことなのであろう.

 人とモノを通じて会話しようとする思いの中枢にあるものはデザイナーにとって人々が直面している問題を解決しようとする思いである.モノは手段として利用されるだけであって,デザイナーが持っているその思いのレベル,価値観,方向性によって,そのモノの機能性と感性が複雑に絡み合っていくのであろう.よってデザイナーは自分だけが生み出したいモノ,自己欲によるモノを避けるのであって,会話しようするモノ,インタラクション性を持たせたモノを求め創造した結果,自分らしさという癖のようなものが創造物ににじみ出ることは必然である.自分らしさという癖とはそのデザイナーの問題を解決しようとする思いの軸がファンクションによるのか,エモーショナルによるのかによって劇的に変化するのであろう.その両方がうまく交差したとき,機能美という言葉が生まれるのではないかと考える.

インタラクションの見極め

モノにおけるインタラクションとは第1章で述べた,そのモノに込める人の思いが中枢にあるという考えを示した.そこで,『不便益』という視点を入れてインタラクションを考えたい.不便益とはあらゆる便利を追求した結果,ある意味不便になってしまった現状に対する警鐘である.私がニュースで身近に感じた不便益はスマートフォンの普及による情報量の爆発的増加によりもたらされたものである.そのニュースは家族旅行において父親が家族サービスをするためにスマートフォンを用い,情報を得ようとしている光景を追っていた.父親は飲食店やレジャー施設の情報をスマートフォンで逐一調べていたが,旅行中スマートフォンばかりに目をとられ子供との旅行体験,リアルな体験に充てる時間が少なくなっていたのである.スマートフォンに時間を奪われているといってもいい.これはリアルタイムの情報を入手することが可能になったために,リアルの時間を失っているという何とも言いがたい現象である.ネットワークをモノと捉えたとき,インタラクション性はどのように考えられるか.ネットワークの多面性から人に与える影響は凄まじいものである.ネットワークというモノのインタラクションに込められた作り手の思いとは何か.

 

 世界規模のネットワークを生み出すきっかけを作った先駆者J・C・R・リックライダーは、そのアイデアを1960年1月の論文で明らかにしている.

『広帯域の通信線で互いに接続された、そのような(コンピュータの)ネットワークは、こんにちの図書館のような機能(を提供する)と共に情報格納・検索などの記号的機能を進化させると期待される。』

また,リックライダーの "The Computer as a Communications Device" の共著者がニューヨーク・タイムズのインタビューで語った話として

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『この3台の端末はそれぞれユーザーコマンド群が異なっていた。だから私が S.D.C. の誰かとオンラインで話をしていて、バークレーあるいはMITの誰かと話したいとき、S.D.C. との端末から離れて、別の端末にログインして連絡する必要があった。(中略)何をするのかは明らかだが、私はそんなことをしたくない。インタラクティブ・コンピューティングが可能なら、1つの端末でどこにでも接続できるべきだ。このアイデアARPAnet だ』(参照: http://ja.wikipedia.org/wiki/インターネットの歴史)

  現在のネットワークの基礎ARPAnetが生まれたアイデア,リックライダーの思いにはインタラクティブ的な要素があった.しかしこの情報のみから判断すれば,その思いは機能性に偏りすぎているのではないかと感じる.感性的な部分,デザイン性が関与せず,ネットワークなるモノは発展し続けたようだ.18世紀半ばからの産業革命をはじめ,技術者先行のモノ作りが社会に与える影響は大きかった.現在のスマートフォンを生み出したスティーブ・ジョブズは技術者の間でのみ使われていたネットワークを市民に開放した.ジョブズがデザイン的感性を持ち合わせ新たなモノを生み出したが,根本にあるネットワークなるモノがもたらすインタラクションは人間の環境を大きく変えることになった.ネットワークという技術は最も様々な影響を与えた技術ではないだろうか.『不便益』という視点からネットワークのインタラクションについて触れたが,不便どころか,今の世界はネットワークがなければ機能しない.この技術とうまく付き合っていく道を探す他にないのである.

 そこで大切になってくるのはモノを生み出す者の視点の持ち方であると考える.現在,デザインエンジニアといった職種,エンジニアもデザイナーも両方行う人々,スペシャリストが増えている.モノを生み出す思いに技術と芸術,機能と感性,両方の視点からの軸を組み込み,人々の問題を解決していく思考をもつ人々である.インタラクションデザイナーも似ている点が多い.

 

20世紀は新しいモノ作りが生まれていくに違いないと確信している.

私もデザインとエンジニアを担う者に近づきたい.

そして少しでも未来を感じ,技術を吟味し,デザインをしていく力を身につけていきたいとおもう.